月別アーカイブ:10月 2026

15年ぶりの再会

汽車が美瑛駅のホームに入って来た。ドアが開き何人かの旅行者が降りてくる様子が駅前のロータリーに停めた車の中からもうかがえる。 車を降りた自分は、小さな駅舎の前に立ち、首を伸ばしながら待っていた。 そして、彼女は駅舎から出て来た。 彼女が7歳のとき以来の15年ぶりの再会である。 幼少の頃の面影が残っているというより、16年前に若くして亡くなった彼女の母が駅舎から出て来たのではないかと思うほどで、何が起こったのか分からないような感覚にみまわれた。 名前を呼ぼうとしたが、あまりの感動で声が出ない。 次の瞬間、彼女は「ごうさん!」と僕のことを呼んだ。15年前と変わらない呼び方で。 彼女とは、2026年1月2日付けのブログに登場する旭川市役所時代に家族ぐるみで付き合っていた同期入庁の友人の娘さんのことである。 昔、自分に娘がいないこともあるためか、彼女に会うことをいつも楽しみにしていた。 突然、彼女の両親が相次いで亡くなったのは彼女が5歳になった頃だ。 その後、様々な事情で父方の祖父母と暮らすことになり、札幌に引っ越していった。 それ以降、会うことが叶わなくなった。※経過は2026年1月2日付けのブログ 昨年暮れ、偶然Instagramで彼女と繋がることができ、今回の再会となったのである。 小さな女の子は素敵な女性へと成長していた。 それにしても彼女のお母さんに似ている。容姿だけでなく仕草や服のセンスもそっくりである。くしゃみまで似ていた。 当初は2人で来ると言っていたが、昔話をしたいと一人でやって来た。 妻と3人で美瑛をドライブし、夜は市役所同期の仲間たちと旭川の居酒屋で昔話で盛り上がった。案の定、彼女を見た皆も目を丸くして驚いた、『お母さんにそっくり』だと。 彼女はシュカブラに泊まり、翌日は家族で行った旭山動物園に行きたいとのリクエストで、猿やアザラシなどを見て回った。 妻に撮ってもらった彼女との2人の写真、実の息子と撮った写真には写っていないような情けないデレデレの表情をした自分が写っていた。 彼女と妻と自分の3人で歩いたり食事をしたりしていると、大人になった実の娘と家族3人でいるような感覚になったが、彼女をここまで育てられた祖父母や親戚のご苦労を考えると、何もしてこなかった自分の感情はあまりにも良いとこ取りの身勝手なものだと複雑な心境になった。 彼女には2つ下の弟がいる。今は大学を目指して勉強中、合格したころには弟も連れて2人で来てくれると思う。 弟は、こちらも若くして亡くなった父親(こちらも市役所の同期)に似ているところが沢山あるんだろう。 小さかった彼は僕のことを全く覚えていないかもしれないが、僕は覚えている。3歳にして補助輪なしの自転車を乗り回していた元気な君、お馬さんごっこで僕の背中に跨り大はしゃぎしていた君を。 札幌行きのバスに乗る彼女を旭川駅まで送った。 彼女を乗せたバスを見送りたいという気持ちはあったが、ドラマ「北の国から」の黒板五郎が、孫が乗った汽車を線路上を涙を流しながら追いかけたように、バスを追いかけてしまいそうなので車寄せで「さよなら」を言った。 「旭川に忘れた大事なものを取りに来ることができた」と言っていた彼女の顔は晴れやかであったが、バス停に向かって歩く彼女の後姿を見ていると、寂しさとともに、もう少し何かしてあげられなかっただろうかと思う気持ちが込み上げてきた。 彼女は来春から東京で働く。忙しい毎日がやって来ると思うが、ときどき思い出し息抜きに来てほしい、「ごうさん、ただいま!」と言って。 札幌から美瑛、東京から美瑛、どちらも時間的距離はそれほど変わらないから。

2026-10-30T18:34:23+09:002026.10.28|

秋空にハミング

先日、60歳代のご夫婦がお越しになられた。 駐車スペースに停まった車の助手席から降りてこられた奥さんは、どうも脚が少し不自由なようだ。脚自体に怪我などがあるわけではなく、神経的な障害だろうと察しがついた。 自分も脊髄梗塞の後遺症で下半身に神経障害があるため何となく分かった。 少し庭を案内し建物に入ると、奥さんが自らの病気のことを話してくれた。自分と同じ梗塞ではないが数年前に脊髄の病気を患い、後遺症で痺れや痛み、感覚障害があるとのこと。 シュカブラのHPのプロフィールに自分の障害のことを書いているが、それを読んでくれていたようで、僕の障害のことをご存知だった。 翌日、ご主人と奥さんと自分の3人で美瑛の丘を3時間程ドライブし、美瑛のことや日々のこと、病気のことなど、色々な話をした。 話の中で、日常生活に大きな支障が生じる結果となり、病気の発症当時は大きなショックを受け、落胆の日々が続いたと、奥さんは語られた。 『分かる!』自分も発症時は「一生歩けることはない」と宣告されたことから、何度、『病院の窓から・・・』と思ったことか。実際には、病院の窓は開かないようになっているのだが。 発症当初の落胆と、状況を受け入れ前に進もうと気持ちが変化していったこと、今もなお身体的な不自由、痛みや痺れなどの苦痛が続いていること、同じような病気を抱えている者同士しか分からないと頷いた。 ご夫婦は、以前から旅行が好きだとのことで、これまでに30回以上も北海道を訪れたらしい。 しかし、奥さんの発症後は障害のため長時間の公共交通機関での移動や長期滞在に不安があり、旅行する機会が減ったが、徐々に遠い所、徐々に泊数を増やすなどに挑戦されているとのこと。 今回は、病気発症後としては初めての3泊旅行だそうだ。 自分が宿を始めた理由、それは北海道に移住し体験してきたこの地の素晴らしさをできるだけ多くの人に伝えること、そして障害の程度は様々であるが、自分と同じような『苦』を抱えてしまった人たちに「前向きに生きて行こう」というメッセージを届けたいということ。 奥さんの頑張って歩く姿は、同志であるように感じた。 最終日の朝、シュカブラの庭を楽しそうに散歩する奥さんの鼻歌が秋の澄んだ空気を通り抜け、カーポートで車を整備していた僕の耳に心地よく届いた。

2026-10-15T07:35:55+09:002026.10.13|
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