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5月 2026
命をいただく
皆さん、食事のとき「いただきます」と言っていますか? 自分は時々、言い忘れることがある。 自宅で食べるときに言い忘れることは無いが、どちらかというと、外食のときはおしゃべりに夢中になり忘れるときが多いような気がする。 時々飲食店では、目の前に用意された食べ物に向かって、頭を下げながらとても丁寧に「いただきます」と言っている人を見かける。とても育ちが良さそう(人としての教育を受けた人)だ。 幼少の頃、「いただきます」とは、料理を作ってくれた人に言っている言葉なのだと思っていた。 確か小学校1年生の冬だったと思う。「いただきます」と言わなかった自分に対し、父は食べるのをやめるよう言った。 自分は「いただきます」と言い直すと同時に、その言葉が理解できていないのなら口にしても意味がないと思い「いただきます」とはどういう意味で誰に言っているのかと、父に聞いた。 父は「全てのものに言っている言葉だ」と説明した。 『全てのもの』とは何なのか、いまいちピンと来ず、『テレビで西洋人が「天にまします我らが父よ・・・」と言っているように、神に感謝を伝えているのか、でも、日本は仏の文化なのになぁ』となどと、やはり明確に理解できなかった。 自分たちが生きていくために食べているもの、それはほぼ全て有機物である。肉、魚、野菜、言い換えると動物、植物である。さらに言い換えると生物である。 [...]
4月 2026
『幸せになる』とは
人は、誰しも他人に知られたくないことの一つや二つあるものだ。 漏れなく自分もそうである。 生まれてから半世紀以上、自分の生い立ちや、辛い経験、恥ずかしい経験、過ちなど、何故嫌なことばかり思い出すのだろうと忘れたくても忘れられないことは必ずある。 また、大人になってから幼少期の出来事が常識から掛け離れたことであって、その体験が傷となって、明らかに自分の人生にとってマイナスに働いていることに気づかされることもある。 『幸せ』とは何か、明確には理解できない。 幼い頃は、本やお寺で見かける絵にある極楽浄土のような世界があり、何のストレスもなく暮らすことなのかなと思っていた。 美味しいものを食べて「幸せ」と口にする人もいる。綺麗な景色を見て「幸せ」と口にする人もいる。家族や恋人の笑顔を見て「幸せ」を感じる人もいる。そういった一つひとつの瞬間を『幸せ』と表現しているのだと思う。 ただ、『幸せになる』とは、継続して幸福な気持ちが維持された状態をいうのだと思う。 果たしてそんなことがあり得るのだろうか。もしそんな状態が続いているとしたら、その状態を『幸せ』とは感じず、何の変哲もない平常だと感じるのであろう。 人生、幸せなことより辛いこと嫌なことの方が明らかに多い。 [...]
3月 2026
老い
先月末、家の電話が鳴った。相手は、何もしゃべらない。今はやりの怪しい詐欺電話のようなものかと思っていたところ、10秒ぐらいして細々とした声で、「剛か?」と聞いてきた。全く誰の声なのか分からず、「誰?詐欺電話?」と聞くと「私や。お母さんや。帯状疱疹で入院してんねん。」と弱った声。 あまりにもかすれた声で聞き取り辛く、母親かどうかも分からないため、実家のある四日市市内に住む妹に確認すると、状況は間違いないとのこと。 先月上旬、妹には母親から弱った声で電話があり、実家に行ってみると、食事も十分に摂れなくなっていた母親と父親が、倒れるように寝転がっていたとのこと。 慌てて2人を病院に入院させたが、ある程度体力的に回復したため、とりあえず、以前から軽い認知症の疑いがあった母親を症状が進行しないよう早めに退院させる予定だと、報告を受けた。 そのような状況中での、母親からの電話であったのだ。 そして先月下旬に母親だけ退院したのだが、時すでに遅し、入院中に認知症がかなり進行してしまったようだ。 母親からは、1日に何回も同じ内容の電話がかかってくる。 そして、今月8日、急遽、旭川空港から羽田空港、東京から新幹線で名古屋、そして四日市へと2年ぶりに帰省、4日間滞在した。 10日に介護保険の認定調査を受けたが、多くの老人がそのような傾向があるらしいが、調査の時だけは「大丈夫、何でも分かる」と気丈にふるまうらしく、母親も同様であった。自分の老いを公には認めたくないのだろう。 妹に詳しい状況を聞くと、父親は認知症の症状が軽いものの、脊柱管狭窄症が悪化し歩行が困難なようで、未だ入院中であるとのこと。 [...]
2月 2026
口から先に生まれて来た男
もうじき、2月も終わる。異常に暖かい日が続いている。 今年の美瑛は、雪も少なく例年の3分の2ぐらいしか積もっていなかったが、ここ数日の暖かさで、一気に溶けた。 周辺の景色は3月中旬のようだ。 毎年のように、寒い日が減った、雪が少ない、というようなことを言っているような気がするが、もう、それが通常の気候になってしまったのかもしれない。 冬を楽しみに来られるお客さんには、少し申し訳ない気がする。 毎年3月下旬から4月中旬は、自己研鑽のための旅行や施設メンテナンスに充てるため休業する。昨年は、長男の大学進学と引っ越しがあり、ひとり旅に出かけられなかったが、今年は2週間程度をかけ、ブラタモリで放送していた深川、谷中、そして「せんべろ」の街・赤羽などの東京の下町と東北地方を巡るつもりだ。 「せんべろ」って何だろうと思ったら、千円でベロベロに酔えるということだと初めて知った。そんな街に住んでいる人たちは、相当お酒が好きなのだろう。 まあ、自分はそんなに吞まないが。 それと、今度、東京に行ったら、スカイツリーに登ろうと思う。昨秋に行ったときに登り忘れたから。東京の人には珍しくもないだろうが、美瑛では絶対に見られない夜景が展望デッキからは見られるのだろう。 お客さんが美瑛に来て、何処までも続く丘を見て新鮮に感じるように、何処までも続くビルの明かりを見て凄いと思うのだろう。 [...]
先々どうするのか、どうなるのか
今日、2月2日は自身の誕生日である。56歳になった。 正確に言うと、誕生日の前日である2月1日に56歳になっている。 『年齢計算ニ関スル法律』では、誕生日前日の午前0時に1歳加算されることが定められているからだ。 なので、4月1日生まれの人が3月31日に一つ年齢が上がるため、その学年の最後の人になる訳だ。 小学校低学年時代、4月1日生まれのクラスメートで近所の友人がいた。出席番号はもちろん最後、身体も小さく、少し可哀そうな気がしていた。 母(おかん)に「なんで、3月31日生まれが最後じゃなく、4月1日生まれが最後なんやろ?」と聞いたことがある。 社会システムや法的なことに関し知識の薄いおかんは、「さぁ、何でやろ。いけずとちゃうか。多分そうや。知らんけど」と適当な返事をした。※「いけず」とは関西弁で意地悪のこと。 三重県四日市に住んでいる時代であるが、おかんは生粋の大阪生まれ大阪育ちの大阪の女(おばちゃん)である。 小学生なりにおかんの言っていることが『ほんまか?』と疑った。当然である。 中学生になり社会科の時間か何かのタイミングで、あのおかん回答が明らかに適当に言ったものであったことが分かり、この人はその時その時の勢いだけで生きている人なんだなぁと改めて思った。 [...]
1月 2026
年始の運
年末ジャンボ宝くじの当選券を誤って捨ててしまった。 年末ジャンボには一般的な「ジャンボ」と「ジャンボミニ」の2種類がある。ジャンボミニというのは、大きいのか小さいのかよく分からんネーミングだが。 販売最終日に「ミニ」ではなく「ジャンボ」を連番で10枚買った。 年末ジャンボ宝くじは、地方財政法第32条及び当せん金付証票法に基づき都道府県及び指定都市が主体となって販売するもので、その収益は地域振興に使われる。 『まあ、当たるわけがない、寄付のようなものだ』と数年に1回、スーパーの入口付近にある販売所で買い物ついでに買うことがあるぐらいだ。 大晦日の抽選会を見るわけでもなく、年が明けて数日経った頃に財布の中に一束あるのを見つけ、そういえばと思いながら、念のため当選を確認するぐらいだ。 今年も1月10日頃になって、スマホで当選番号を検索し、券と照合した。10枚買っていれば下一桁の300円は必ず当たるようになっているのだが、案の定、1枚300円しか当たらなかった。 当たり券だけを財布に保管し、他の券は事務室のゴミ箱へ。 数日後、スーパーに買い物に行った際、財布の中の当選券を見つけ販売所に持っていき、「当たり券です。換金してください」と販売員さんに渡し読み取り機に通してもらうと「はずれです」とあっさりした返事。 勘違いだったかなと思いながらも、車に戻ってからもう一度スマホで確認したが、やはり当たっている。再度確認してもらおうと販売所に向かおうとしたが、販売所では機械で確認しているため、間違えるはずがない。 ??? [...]





