一緒に見た一番星
先日、30歳代後半の女性が一人でお越しになられた。 女性一人客は、そう珍しくない。その多くが、美瑛の旅、シュカブラに泊まる理由は「自分へのご褒美」「人生の転換期(転職)」「仕事のストレスからの解放(リフレッシュ)」など、『ひと呼吸つきたい』ということのようだ。 都会から来られる女性一人旅の方は、運転できない割合が高く、そのため、僕の車で空港や駅への送迎するほか、丘のドライブや、買い物等に一緒に出かけることも多く、お話をする機会も多い。 そんな時、ほぼ毎回聞かれるのが、「なぜ、北海道に移住した」「なぜ、安定した公務員を辞めた」「今の仕事、北海道での生活は楽しいか」だ。 先日の女性も、仕事のストレスから解放され、「少し贅沢な旅を」と以前から気になっていたシュカブラを思い切って『予約』されたとのこと。 その方は、建築を学ぶため大学に進学したかが1年で辞め、その後、美容師、語学留学など、そして現在は監査法人の契約社員として働いているとこのと。40歳を前に、未だに一貫したやりたいことが見つからないと、少し悩み不安を感じられている様子だった。 しばしば、お客さんには「夢を叶えられて羨ましい理想の人生ですね」などと言われる。しかし、僕だって、何となく大学に行き、何となく公務員になり、27歳でやりたいこと(北海道で宿をやる)を見つけ30歳で北海道に移住したが、その気になれば2・3年で開業できそうなものを、だらだらと20年もの時間を過ごし、やっと50歳で開業したが、これから先、また別のことをやりたくなるかもしれない。 人は、食べて寝て子孫を残すという動物的本能だけを持っているのではなく、知能が高いため、楽しく生きたいという欲望が必ずある。それが、そのときの置かれた状況により日々変化していくのは、ごく自然のこと。 生まれてから死ぬまでに、やりたいことが一貫しているなんてことはありえない。若い頃は、普段の生活に疑問を感じ、次のステップに一歩踏み出す勇気を多くの人が持っているが、年齢を重ねると、その勇気を持てない人が多くなり、心では変化を求めるが、変化から目を背けようとする人が多くなるような気がする。 いくつになっても、たとえ一つひとつに一貫性が無くても、その時やりたいこと楽しく一生懸命やることが大切なのであり、その中から次へのステップの何かが見つかるのだと思う。 実際、何となくなった公務員から宿泊業という全く畑違いの仕事をしている自分も、公務員で経験した知識や感覚が、多岐にわたり役立っており、しばしば、それを実感できることに、何となくなった公務員でも今となっては良かったと思うのである。 ただし、それは何となくなった公務員でも、その職にある間は正面からその仕事に向き合い取り組んだことにより得られた結果であると思う。 様々な畑違いの職に就くことが他人からは一貫性が無いように見えるかもしれないが、大事なのは仕事の種類ではなく、人としての考え方の一貫性だと思う。 あくまでも仕事は、その人の生き方や考え方を表現する媒体でしかなく、人生そのものではない。頑張っても自分を表現しづらいと感じ、他にやってみたいことが見つかり、それへ挑戦することは素晴らしいことであると思う。 公務員を辞めるとき、挨拶周りで「櫻井さんが羨ましい」という何人かの同僚がいた。口にはしなかったが、心の中で『羨ましいと思うなら、あなたもやりたいことをやったらいい。だって、人生は1度きりしかないよ』と言った。 102歳になる祖母がスマホを指でスクロールしながら言っていた。 「人間、死ぬまで勉強の繰り返し、新たな発見を求め、新たな楽しみを探す。それが人であり、人として生きている証。誰にでも苦しいとき、辛いときは必ずある。それを深く感じられる人は、楽しいことも、なお深く大きく感じられる。自分が思うほど、人は自分のことなど気にしていない。人生は誰のためのものでもなく、自分のためのもの。他人に迷惑を掛けない程度に、自分勝手に好きなように生きたらいい。」と。 人は皆、シンガーソングライターのようなもの。その人の生き様は、共感してくれる人だけに響けばよく、それだけで十分に世の中のためになっていると思う。