月別アーカイブ:3月 2025

君に幸せあれ

今年の美瑛は雪解けが早く、道路だけではなく丘の畑の雪もなくなりかけている。 シベリアから本州などの南にわたる途中の白鳥も飛来し始め、シュカブラ上空を飛び、鳴き声や、低空飛行するときには羽音までも聞こえる。 さて、前回の続きで、長男が一人暮らしのため、家を出ていく件である。 高校を卒業したら、家を出て行くように言っていた張本人の僕が、出て行く日が近づくにつれ、寂しさが増していくような状況だ。 同世代の友達に聞くと、子供が出て行くと心にぽっかり穴が開いたようになるという。 はたして4月になり、いなくなった状況に耐えられるのか不安がつのる。 思い返せば、もっと色んなことをしてやればよかった、もう少し優しくしてやればよかった、など後悔しか頭に浮かばない。 長男は都会ではない地方都市にある国立大学と都会の私立大学に合格したのだが、自分に足りないものは、沢山の人と接し経験を積むことだと、都会にある私立大学を選択した。 国立と私立の授業料の差は、本人が奨学金を借り、就職してから返済するという覚悟を決めての選択だ。 僕が18歳の頃、若くして数百万円の債務を負うことなど、このような重大な決断はできなかった。 なんとなく合格した大学に行き、大学時代もなんとなく過ごしていたような気がする。 18年間、親らしいことは大してしてやれなかったが、知らないうちに強い意志を持った青年になっていた。これが、後悔だらけの子育ての中にある唯一の救いだ。 親から離れ生活すると、親から教えられたことが、正しかったと思うこともあれば、間違っていたのではないかと思うこともあり、徐々に価値観も変わってくるだろう。 この先4年間、都会の中で揉まれ、大きく成長した長男を見るのが楽しみだ。 目立たなくてもいい、自分が幸せだと思える人生を歩んでほしい。 「君に幸せあれ」

2025-03-27T17:28:39+09:002025.03.27|

別れの時(卒業シーズン)

3月になった。 毎シーズン、氷点下20℃を下回る日が少なくても3回はあるが、今シーズンの美瑛は、それがない。 おそらく、このまま春を迎えるのであろう。 3月といえば、卒業シーズンである。 うちには長男と次男の2人の男子がいる。 長男は高校3年生で、3月1日に卒業式があり、妻とともに参列してきた。 僕たちが子供だった頃、高校の卒業式に親が沢山出席していたような記憶はないが、両親ともに参列している家庭も多く、体育館には生徒より保護者の数の方が多い状態だった。 8年前、次男が保育園を卒園する際、僕は「父母の会の代表」をしていた関係で、卒園式での謝辞の大役を仰せつかった。 大変な役を引き受けてしまったと思いながらも、本番で支離滅裂なことを言わないよう、ちゃんと書面にして準備をしていた。 ありきたりな文章にせず、聞いている保護者や先生や来賓などが退屈しないよう、また、自分色を出そうと考え、何度か書き直し、本番に挑んだ。 登壇し、緊張はなかったものの、手にしたものを一行読んだとき、それは起こった。 目頭が熱くなり手元の字が見え辛く、声が震え発声がうまくできない。 涙を溢さぬよう、少し上を向きながら、眼球は下の紙を見るような状態。 読み進めながら、「いやー、自分の書いた文章で感動して涙を流しているなんて、恥ずかしいなぁ」と少し冷静さを取り戻すと、すすり泣く声が、会場のあちこちから聞こえる。保護者はおろか来賓の町長や町議会議員までが眼鏡を取り、涙を拭っている。 「退屈させなくて良かった。」と安心し最後まで読み終え、降壇し保護者席に向かうと、保護者から「あれはまずいわ。涙が止まらん。」と言われた。 自席につくと妻からひと言「自分の書いた文章で、なに泣いてるの」と笑われたが、妻の目も真っ赤だった。 今回の長男の卒業式でも、生徒たちは比較的冷静だが、何人かの保護者は我が子の成長に感動し、涙を流していた。卒業式とは、保護者のためのものなのかもしれない。 長男とは生まれてから1年365日を一緒に過ごし、18年間で約6,500日、ほぼ毎日顔を合わせてきて、それが当たり前のようになっていたが、今月末には、進学で家を出ていく。同じ、北海道内の大学ではあるが、1年で会える回数も5回程度あるかないか、これから先4年間でも20回ぐらいだろう。 このブログを書きながら、そんなことを考えると、画面が滲んで見え辛くなるのである。

2025-03-05T19:12:17+09:002025.03.05|
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