年間アーカイブ: 2026

先々どうするのか、どうなるのか

今日、2月2日は自身の誕生日である。56歳になった。 正確に言うと、誕生日の前日である2月1日に56歳になっている。 『年齢計算ニ関スル法律』では、誕生日前日の午前0時に1歳加算されることが定められているからだ。 なので、4月1日生まれの人が3月31日に一つ年齢が上がるため、その学年の最後の人になる訳だ。 小学校低学年時代、4月1日生まれのクラスメートで近所の友人がいた。出席番号はもちろん最後、身体も小さく、少し可哀そうな気がしていた。 母(おかん)に「なんで、3月31日生まれが最後じゃなく、4月1日生まれが最後なんやろ?」と聞いたことがある。 社会システムや法的なことに関し知識の薄いおかんは、「さぁ、何でやろ。いけずとちゃうか。多分そうや。知らんけど」と適当な返事をした。※「いけず」とは関西弁で意地悪のこと。 三重県四日市に住んでいる時代であるが、おかんは生粋の大阪生まれ大阪育ちの大阪の女(おばちゃん)である。 小学生なりにおかんの言っていることが『ほんまか?』と疑った。当然である。 中学生になり社会科の時間か何かのタイミングで、あのおかん回答が明らかに適当に言ったものであったことが分かり、この人はその時その時の勢いだけで生きている人なんだなぁと改めて思った。 まあ、それが大阪の女の良い所だと、自分自身も適当に解釈した。 56歳、あと4年で60歳になる。 30歳の時、『元気に動けるのも60歳までだろう、半分は本州で生きたから、残りの半分は北の大地で生きよう』と決意、三重県から北海道に移住したが、あの時考えていたとおりだと元気に動ける残された時間はあと4年ということだ。 47歳で大病を患い下半身不自由の身体障害者になり、明確な障害の進行はないものの、『なんかおかしい』ということが徐々に増えてきている。 医者には、病後のリハビリで何とか歩けるようになってからも、一般の人よりは早い時期に歩けなくなると言われているし。 さて、若い時に想定していたように60歳で動けなくなるのか、そうではなく今ぐらいは動けているのか、よく分からないが、もし、動ける状態であれば、次の30年(死ぬまで)をどこでどのように過ごすか、そろそろ考える時期かもしれない。

2026-02-02T18:04:25+09:002026.02.02|

年始の運

年末ジャンボ宝くじの当選券を誤って捨ててしまった。 年末ジャンボには一般的な「ジャンボ」と「ジャンボミニ」の2種類がある。ジャンボミニというのは、大きいのか小さいのかよく分からんネーミングだが。 販売最終日に「ミニ」ではなく「ジャンボ」を連番で10枚買った。 年末ジャンボ宝くじは、地方財政法第32条及び当せん金付証票法に基づき都道府県及び指定都市が主体となって販売するもので、その収益は地域振興に使われる。 『まあ、当たるわけがない、寄付のようなものだ』と数年に1回、スーパーの入口付近にある販売所で買い物ついでに買うことがあるぐらいだ。 大晦日の抽選会を見るわけでもなく、年が明けて数日経った頃に財布の中に一束あるのを見つけ、そういえばと思いながら、念のため当選を確認するぐらいだ。 今年も1月10日頃になって、スマホで当選番号を検索し、券と照合した。10枚買っていれば下一桁の300円は必ず当たるようになっているのだが、案の定、1枚300円しか当たらなかった。 当たり券だけを財布に保管し、他の券は事務室のゴミ箱へ。 数日後、スーパーに買い物に行った際、財布の中の当選券を見つけ販売所に持っていき、「当たり券です。換金してください」と販売員さんに渡し読み取り機に通してもらうと「はずれです」とあっさりした返事。 勘違いだったかなと思いながらも、車に戻ってからもう一度スマホで確認したが、やはり当たっている。再度確認してもらおうと販売所に向かおうとしたが、販売所では機械で確認しているため、間違えるはずがない。 ??? 『そういえば、年末ジャンボには「ジャンボ」のほかに「ジャンボミニ」というのがあったな』と思い出した。 もしやと思いスマホの画面を見返すと、自分が見ていたものは「ジャンボミニ」の当選番号だった。 自分が買ったのは。「ジャンボ」だ。 改めてジャンボの当選番号と手に持っていた券を照合したところ、確かにはずれだった。 『まあ、読み取り機が間違えるわけがない、というか間違えていたら年明けから、日本中で宝くじ大パニックになっているはずだ。』 『んっ、待てよ。じゃあ、ゴミ箱に捨てたものの中にジャンボの下一桁の300円の当選券があったということだな。300円はもったいないことをした。まあ、仕方ない。』 『んっ、待てよ、もしかして高額当選券が入っていたのでは』と、急に高揚と落胆が入り混じったような気持ちが込み上げ不整脈の発作が起きそうである。 落ち着け。連番で買っているから、手に持っているはずれ券から、番号が推測できる。 推測した番号とスマホの画面を照合。 『あー!』 思わず車の中で叫んだ。隣の車の人が、びっくりしてこちらを見ている。 慌て自宅にいる妻に電話し「事務室のごみ箱の中を見て!」と。 妻から「無いよ。確か数日前に燃やせるゴミに出した」と。 後の祭りである。 まあ、大した額ではない。猫には2か月分のおやつを我慢してもらおう。 最近、年賀状のやり取りも少なくなった。郵便局には悪いが、もうそういう時代ではないのかもしれない。 15枚程度届いた年賀状とお年玉付き年賀はがき当選番号を照合した。2枚も当たった。 実は、宝くじ事件の日のスーパーの買い物で、レシート番号にゾロ目が出ると特等というイベントとをやっていた。 『まあ、はずれだろう』と思ったが、念のため確認すると、なんと特等だった。特等の条件は2連のゾロ目だが、なんと3連のゾロ目。 「おめでとうございます。特等です。凄いです3連ゾロ目!」と店内に響き渡る係の若い男性の大きな声。 レジ付近にいたお客さんがこちらを見ている。 『何くれるの、和牛??』と期待した。 熱湯を注いで作る「カレーメシ」という即席カレーを2つくれた。まあ、忙しい日の昼食には重宝する。 よく見たら特等も三等もほとんど同じだった。 『にいちゃん、特等って大きな声で言わんでもええやろ』と思いながら、笑顔で「ありがとう、おおきに」と言っておいた。 今年は幸先良いのか悪いのかよく分からない。

2026-01-22T10:28:39+09:002026.01.22|

娘との再会を待つ

あけましておめでとうございます。 だらだらと長い文章をいつもお読みいただきありがとうございます。 今日はおそらく今までで一番長いので、覚悟してお読みください。 昨年の暮れの出来事である。 もう会うことはないだろうと思っていた娘から連絡があったのだ。 「娘」いたの?と、うちの家族構成を知る人は不思議に思うだろう。そう、うちは妻と長男・次男の4人だ。 娘と言っても、本当の娘ではない、しかも自分が勝手に娘のように思っていただけである。 旭川市役所に勤務していた頃、同期の中で毎月誕生会をやるほどの仲の良い16人の友達がいた。年を重ねるにつれ、それぞれが結婚し子供ができ、会う回数は減っていったが、それでもときどき子供たちを連れて、大人数で旅行やキャンプ、バーベキューをして楽しんだ。 皆はグループを「ファミリー」と呼んでいた。 グループ内でもカップルができ結婚した人がいた(うちもそうであるが)。その中の1組、彼は「S」、彼女は「R」だ。彼らにも子供ができた。目がくりくりとしたとても可愛い女の子「M」、そして元気でパワフルな男の子「K」である。 グループの中でもこの家族とは、付き合いが濃かった。うちの家族と行動パターンが似ていて、ばったりと海やスーパーで会い、そのまま一緒に遊んだことがしばしばあった。 他人のことを悪く言うことはない穏やかなSと、料理が上手で何事にも真剣なR、元気な子供たち、いつも仲の良い家族であった。 ただ、そんな幸せそうな家族の暮らしは、長くは続かなかった。突然、Sが亡くなり、その半年後に、今度はRがこの世を去った。 子供たちは、まだ5歳と3歳、近くに住むR側の祖父母と暮らすようになった。時々、同年代のうちの子供やグループの家族と一緒に訪れ、2人を遊びに連れ出した。友達の皆が自分のことを「ごうさん」と呼ぶように、子供たちからも「ごうさん」と呼ばれ、自分も子供のように遊んだ。 そんなある日、また、悲しい知らせが届いた。一緒に暮らす祖母が事故で亡くなったという。祖父1人では2人を育てるのは難しい。7歳と5歳になっていた2人は札幌に住むS側の祖父母と暮らすことになり、旭川を離れて行ったのである。 離れた後も、2人に会いたいと札幌の家の前まで行ったが、旭川での辛い経験を思い起こさせるのではないかと、インターフォンを押すことが出来なかった。 Sの祖父母とは年賀状でやり取りがあり、その中で少しではあるが2人の成長を伺えた。 自分が美瑛で宿を開業した際(5年前)には、そのお知らせを葉書で送った。ほどなくして、Sの祖父から返事が手紙として届いた。そこには、Mは高校生、Kは中学生になり、勉学やスポーツに励んでいることが詳細に書かれており、これを何回も何回も読み返した。 札幌まで行って、インターフォンを押せなかったとき、もうこの子たちには会えない、会わない方が良いと思ったが、この手紙を読み、改めて自分が心配することではないと心に言い聞かせた。 時は流れ昨年の暮れのことある。Instagramの新しいフォロワーの中に見覚えのある名前があった。まさかと思ったが、その人の投稿を覗いてみると本人の顔も写っている。離れてから13年という年月が過ぎていたが、そこに写っていた顔は、そう、市役所に入りたての20歳の頃のRによく似た可愛らしい女性だった。 間違いないと思い彼女に恐る恐るDMで「もしかしてMか?」と送ると、「そうだよ」との答え。祖父母に送った開業お知らせをMも読んでくれていたらしく、テレビ番組で美瑛のことをやっていたのを見て思い出し、うちの宿を探してInstagramまで辿り着いたとのこと。彼女のInstagramの投稿を見ていると北海道大学に在学していることが窺えた。 「久しぶりに会いたいから、気が向いたら連絡して」と送ると、「今、就活中で落ち着いたら、彼氏とシュカブラに泊まりに行く」との返事。 『えっ、彼氏!』、なんだろうこの複雑な心境は、娘を持つ父親の感情みたいなものなのか。 息子に彼女ができたときは、何とも思わなかったというか、成長した息子のことを純粋に嬉しいと思ったが、何かその時と違う感情が湧いてきた。 そのまま「なにっ、彼氏!」とMに送ると、「あちゃっ!」みたいな絵文字が返ってきた。 元気に成長し、幸せそうな様子が伺えてとても嬉しい師走の出来事であった。 就職活動が落ち着く頃だと、今年の夏頃だろうか。泊まりに来たときは、「ごうさん、ただいま!」と言ってくれることを願っている。 Mに会えた瞬間は、立派に成長した彼女に再会できた嬉しさと、亡くなったRが戻ってきたような複雑な感激を覚えるだろう。ハンカチ、いやタオルを用意しておかないといけない。 そして、一緒に来るという彼氏が、Sのように素晴らしい人なのか、Sの代わりに品定めすることにしよう(笑)

2026-01-23T13:46:31+09:002026.01.02|
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