『幸せになる』とは
人は、誰しも他人に知られたくないことの一つや二つあるものだ。 漏れなく自分もそうである。 生まれてから半世紀以上、自分の生い立ちや、辛い経験、恥ずかしい経験、過ちなど、何故嫌なことばかり思い出すのだろうと忘れたくても忘れられないことは必ずある。 また、大人になってから幼少期の出来事が常識から掛け離れたことであって、その体験が傷となって、明らかに自分の人生にとってマイナスに働いていることに気づかされることもある。 『幸せ』とは何か、明確には理解できない。 幼い頃は、本やお寺で見かける絵にある極楽浄土のような世界があり、何のストレスもなく暮らすことなのかなと思っていた。 美味しいものを食べて「幸せ」と口にする人もいる。綺麗な景色を見て「幸せ」と口にする人もいる。家族や恋人の笑顔を見て「幸せ」を感じる人もいる。そういった一つひとつの瞬間を『幸せ』と表現しているのだと思う。 ただ、『幸せになる』とは、継続して幸福な気持ちが維持された状態をいうのだと思う。 果たしてそんなことがあり得るのだろうか。もしそんな状態が続いているとしたら、その状態を『幸せ』とは感じず、何の変哲もない平常だと感じるのであろう。 人生、幸せなことより辛いこと嫌なことの方が明らかに多い。 自分は、幸せだと言えるのか・・・『幸せ』の定義が分からないから、自分がどうなのかもよく分からない。 ブログを読んでくれている方、また、僕のことが記事になった新聞や雑誌を読んでくれた方から、よく言われることがある。「夢が叶って、好きなことが出来て幸せですね」と。 ブログに書いていること、インタビューに答えていること、それ自体に嘘はない。 ただ、書きたくないことは書いていないし、話したくないことは話していない。 書かれていることだけが自分という人間ではなく、それはある一面にすぎない。 これまでのブログにも、行間からは文章で表現していない一面が見え隠れしているものもある。 多くの人が多面的で、人には見せたくない一面がある。 ブログや記事を読んで、「素晴らしい方ですね」などと言ってくれる人もいるが、自分はそんな褒められたような人物ではない。むしろ自己中心的で、他人を羨み、表面を繕い、物事に正面から向き合わないことも多々ある弱い人間である。 ブログには、本当のこと、本心を書いているつもりだが、自分は『こうありたい』という願望を書いた一文もあるかもしれない。 多くの人が自分をよく見せようとする。強く、格好よく、可愛らしく、綺麗に、利口に見せようとするのは人間として、いや生物として自然な行動である。 人に知られたくないこととは、多くの場合、相手にマイナスイメージを抱かせるようなことだろう。だから、話したくない知られたくないと思うのであろう。 だた、誰かを相手に何かの拍子で、自分の知られたくない一面や辛い経験、弱さを口にしたとき、脈を打つ回数が減り、背負わされた重い石を地面に下したような感覚になることがある。 相手にどう思われるかなどは関係なく、何かほっとする感覚だ。この瞬間が本当の自分なのかもしれない。 時や場所に関係なく、これまでの辛い経験や過ち、弱さを受け入れ、肩肘張らず自分の気持ちに素直に行動し、常に素の自分でいられること、それが『幸せになる』ということなのかもしれない。 まあ、一生かかっても分からないような気がするが。





