あけましておめでとうございます。
だらだらと長い文章をいつもお読みいただきありがとうございます。
今日はおそらく今までで一番長いので、覚悟してお読みください。

昨年の暮れの出来事である。
もう会うことはないだろうと思っていた娘から連絡があったのだ。
「娘」いたの?と、うちの家族構成を知る人は不思議に思うだろう。そう、うちは妻と長男・次男の4人だ。
娘と言っても、本当の娘ではない、しかも自分が勝手に娘のように思っていただけである。
旭川市役所に勤務していた頃、同期の中で毎月誕生会をやるほどの仲の良い16人の友達がいた。年を重ねるにつれ、それぞれが結婚し子供ができ、会う回数は減っていったが、それでもときどき子供たちを連れて、大人数で旅行やキャンプ、バーベキューをして楽しんだ。
皆はグループを「ファミリー」と呼んでいた。
グループ内でもカップルができ結婚した人がいた(うちもそうであるが)。その中の1組、彼は「S」、彼女は「R」だ。彼らにも子供ができた。目がくりくりとしたとても可愛い女の子「M」、そして元気でパワフルな男の子「K」である。
グループの中でもこの家族とは、付き合いが濃かった。うちの家族と行動パターンが似ていて、ばったりと海やスーパーで会い、そのまま一緒に遊んだことがしばしばあった。
他人のことを悪く言うことはない穏やかなSと、料理が上手で何事にも真剣なR、元気な子供たち、いつも仲の良い家族であった。
ただ、そんな幸せそうな家族の暮らしは、長くは続かなかった。突然、Sが亡くなり、その半年後に、今度はRがこの世を去った。
子供たちは、まだ5歳と3歳、近くに住むR側の祖父母と暮らすようになった。時々、同年代のうちの子供やグループの家族と一緒に訪れ、2人を遊びに連れ出した。友達の皆が自分のことを「ごうさん」と呼ぶように、子供たちからも「ごうさん」と呼ばれ、自分も子供のように遊んだ。
そんなある日、また、悲しい知らせが届いた。一緒に暮らす祖母が事故で亡くなったという。祖父1人では2人を育てるのは難しい。7歳と5歳になっていた2人は札幌に住むS側の祖父母と暮らすことになり、旭川を離れて行ったのである。
離れた後も、2人に会いたいと札幌の家の前まで行ったが、旭川での辛い経験を思い起こさせるのではないかと、インターフォンを押すことが出来なかった。
Sの祖父母とは年賀状でやり取りがあり、その中で少しではあるが2人の成長を伺えた。
自分が美瑛で宿を開業した際(5年前)には、そのお知らせを葉書で送った。ほどなくして、Sの祖父から返事が手紙として届いた。そこには、Mは高校生、Kは中学生になり、勉学やスポーツに励んでいることが詳細に書かれており、これを何回も何回も読み返した。
札幌まで行って、インターフォンを押せなかったとき、もうこの子たちには会えない、会わない方が良いと思ったが、この手紙を読み、改めて自分が心配することではないと心に言い聞かせた。

時は流れ昨年の暮れのことある。Instagramの新しいフォロワーの中に見覚えのある名前があった。まさかと思ったが、その人の投稿を覗いてみると本人の顔も写っている。離れてから13年という年月が過ぎていたが、そこに写っていた顔は、そう、市役所に入りたての20歳の頃のRによく似た可愛らしい女性だった。
間違いないと思い彼女に恐る恐るDMで「もしかしてMか?」と送ると、「そうだよ」との答え。祖父母に送った開業お知らせをMも読んでくれていたらしく、テレビ番組で美瑛のことをやっていたのを見て思い出し、うちの宿を探してInstagramまで辿り着いたとのこと。彼女のInstagramの投稿を見ていると北海道大学に在学していることが窺えた。
「久しぶりに会いたいから、気が向いたら連絡して」と送ると、「今、就活中で落ち着いたら、彼氏とシュカブラに泊まりに行く」との返事。
『えっ、彼氏!』、なんだろうこの複雑な心境は、娘を持つ父親の感情みたいなものなのか。
息子に彼女ができたときは、何とも思わなかったというか、成長した息子のことを純粋に嬉しいと思ったが、何かその時と違う感情が湧いてきた。
そのまま「なにっ、彼氏!」とMに送ると、「あちゃっ!」みたいな絵文字が返ってきた。
元気に成長し、幸せそうな様子が伺えてとても嬉しい師走の出来事であった。
泊まりに来たときは、「ごうさん、ただいま!」と言ってくれることを願っている。
Mに会えた瞬間は、立派に成長した彼女に再会できた嬉しさと、亡くなったRが戻ってきたような複雑な感激を覚えるだろう。ハンカチ、いやタオルを用意しておかないといけない。
そして、一緒に来るという彼氏が、Sのように素晴らしい人なのか、Sの代わりに品定めすることにしよう(笑)