今日は移住の話である。
移住を考えている人にとっては、希望を削いだり、不安を煽ったりするようなことになるかもしれないが、真剣に慎重に考えてほしいから書くこととする。
以前も同じようなことを書いているかもしれないので、『前も聞いた』と思う人は閉じてください。
自分が三重県四日市市から北海道に移住したのは、30歳になった2000年だからもう25年前のことである。
最初は北海道第2位の都市・旭川市(その当時人口36万人超)のほぼ中心部(市街地)に4年間住み、その後、隣町の旭川空港のある町・東神楽町の住宅街(旭川のベッドタウン)に13年、そして今の美瑛町の農地の真ん中に約8年前から住んでいる。
27歳で北海道に初めて訪れ、想像を超えるあまりの雄大さに感動し、いずれこの北の大地に住みたいと3年間に10回程度旅行や出張で訪れ、30歳で移住した。
大学卒業後、三重県庁に大卒枠(将来の出世もある程度は保証されたような採用枠)で入庁し、仕事も嫌いなわけではなく(結構好きだった)、週末には趣味のテニスを楽しみ県内ではそれなりに名前を知られるような選手で、所謂、心も体も安定した生活、経済的に安心な将来が保証されているような生活を送っていた。
(※念のため言っておくが、公務員の仕事は民間の人がよく口にする「公務員は楽」というものではなく普通に深夜までの残業や休日出勤もあり、また、法に基づいて公平公正を常に考えながら業務を遂行しなければならないため、それなりに大変でストレスもかかる。)
それが、北海道を初めて見たときから、心の何処かでザワザワが始まったのである。
元気に動き回れるのは60歳までだろう、あとの半分は別の地で別の生き方をしようと考え、将来の社会的立場の保証のようなものを捨て、北海道に乗り込んできた。
とはいっても、職がないと生活していけないため、三重県職員在職中に旭川市職員の採用試験を受け、年齢制限ギリギリで何とか合格し、とりあえず生活できる基盤を作っていたが(この辺りは用意周到)。
移住当初は移住前からの目標であった宿の開業を数年でやろう考えていたが、それは実に甘かった。
よく「引っ越しから3ケ月以内、3年以内は注意しろ」といわれるが、あれは嘘ではない。やはり環境が変わると知らず知らずのうちに心や身体に負担がかかっているのである。
また、自分の場合は移住してから、カメラやキャンプなどの趣味ができ、あまりテニスなどの運動をしなくなったこともあるかもしれないが、体力が落ちて行ったような気がする。
案の定、数年毎に稀な病気を発症したり、貰い事故で重傷を負ったりで何度となく入院するなど少し不運な時を過ごしたこともあった。
念願叶って美瑛に住み始めて9ケ月経った頃、突然これまでにない重い病を発症し半年間の入院生活、その病気の後遺症で下肢不自由の身体障害者になるなど、宿を開業するなどほど遠い、社会復帰できるかどうかという状態だった。
また、北海道移住後からの土地探しでは、「気に入った土地などすぐ見つかる」などと高を括って働きながら片手間に土地探ししたが思うような進展がなく、その後、公務員として得た法的な知識や経験を活かし、また、人脈を作り、本格的に探し始めてから8年目、やっと今の土地と巡り合い手にすることができた。
決して脅しているわけではない。
時々、夢見て勢いだけで無計画に移住し、あっさりと夢破れて数年で帰っていく人を見かける。
まあ、そういうのも経験としてありかもしれないが、北海道への移住にのみならず、どこへの移住もできるだけ多くの情報を収集し、それらを色んな角度から分析し、慎重に真剣に検討してほしいと思うのである。
自分は「石橋を叩いて渡る」ではなく「石橋をハンマーで叩いて渡る」というような慎重派である。
それですら、細かな失敗は数えきれないぐらいしてきた。
ただ、移住自体は全く失敗ではない。また、宿の経営はいろんな人に会えること、この地のことや自分の経験を話せること、同じ自営業の方やこれまで接点がなかった所謂巨大企業を経営する方がお客さんとして来られ普段着の話ができること、時には経営について学ばせてもらえることと楽しいことばかりである。
年に数回、東京や大阪、名古屋などの都市部で国や自治体の関係機関が主催する「移住フェア」なるものが開催される。
もしかすると、10月18日に東京で開催される移住フェアに美瑛町職員と一緒に移住経験者として参加することになるかもしれない。
移住を具体的に考えている人、少し考えている人、移住は考えていないけどシュカブラのオーナーが来るなら行ってみるかなという人などなど、是非、立ち寄っていただきたいと思うのである。ここに書けないような様々な北海道ならではの事情をお話しできると思うから。
もしかすると、フェアに来ただけで移住スイッチが入ってしまう人もいるかもしれない。
でも、その時は慎重に。
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