今シーズンの美瑛は、気温が高めだ。
毎シーズン、氷点下20℃を下回る朝が5回はあるが、1回もない。
もう、2月下旬になるが、このまま終わってしまいそうな天候だ。
さて、今日は予告通り、美瑛の丘にポツンと立つ木の話をする。
よく、〇〇の木と呼ばれる木がある。名前のないポツンと立つ木も沢山ある。
丘の上のポツンと立つ木、確かに見栄えが良く、写真映えする。
思慮深い人は、それを見て「どうして、あんなところにポツンと木があるのか」と聞く。
それには、北海道の開拓の歴史と深い関りがある。
北海道は、約150年頃前から本州などの内地から移り住む人が増えた。所謂、入植(未開の地の開拓)だ。
ここ美瑛も少し遅れて入植がはじまった。
その頃、美瑛は、今のようななだらかな丘が続く風景ではなく、起伏はあるが深い森であった。
今のような広大な農地がある風景はどのようにして作られたのか。
その当時、日本には家制度があり、長男が家を継ぐというのが一般的であった。そのため、次男や三男等として生まれたため家督相続できない人や、また、家柄などの様々な事情で故郷を離れることになった人たちが、生活の糧を得ようと北海道に移り住んだと聞く。
当然ながら裕福ではなかった。
食べていくための、極寒に耐え、時にはヒグマやオオカミに襲われながらも、手作業で森の木を伐り、根にダイナマイトを仕掛けて爆破し、伐根し、耕作に適した土を入れるという途方もない作業が延々と続いたのである。そんな時に活躍したのが、馬で道産子といわれる農耕馬である。
一族や親戚同士で入植した人達も多く、壮絶な苦労をして切り開いた土地を兄弟や親戚同士で分け合った。
その際、土地の境界として植えられたのが、丘に立つ木だ。また、開拓が一定程度に達した記念として植えられた木もある。
ただ、その後も今のように機械が発達しているわけではなく、農作業には馬が重要な役割を担い、どの農家にも欠かせない存在であった。
農作業にトラクターが導入され、それが主流になったのが50年ほど前だ。
今、70歳代以上の農家さんは、若い頃、まだまだ馬たちと一緒に働いた世代だ。
畑を起こすときも、農作物を運搬するときにも、馬が活躍した。
トラクターやトラックとは違い馬は生き物である。人間と同じように年をとり、働けなくなり、やがて死ぬ。
農家は一緒に働いた馬を丁寧に供養した。
農家さんは言う、『一緒に働いてくれた馬が根元に眠っている木が多い』と。
そう、ポツンと立つ木には、土地の境界を示すほかに、馬のお墓でもあるという。
丘に立つ木は、そんな美瑛の歴史をじっと見守って来たのだ。
美瑛を旅する人には、安らかに眠る馬を驚かせないよう静かに丘を巡ってほしい。
そして、木を見ながら壮絶な歴史があったことを想像してほしい。
(注)ポツンと立つ木の中には、開拓の際に植えられたものなどではなく、畑の畔などに自然に生えてきたものもあります。
コメントする