今日は3月11日、東日本大震災が発生した日ですね。当時、私は旭川市役所に勤めており勤務時間中でした。
ちょうどその時期は長く断続的に続く目眩を患っており、廊下を歩いているとクラクラとしたため、また、目眩が来たかと思い自席に戻りました。すると同僚たちがザワザワをしています。旭川は地震が少ない街で滅多に体に感じるような揺れはありません。
私も2000年に移住してからその時まで、地震を感じることが有りませんでした。そのような旭川があれだけ揺れたのだから、日本の何処かでとんでもないことが起きているのではないかと直感しました。その日の夕方、帰宅してテレビをつけるとどこのテレビ局も地震のニュースでした。
津波が街を飲み込む映像、津波が去った後の無残な様子。写真でしか見たことはありませんが東京大空襲などの戦争の後のように感じました。

それから、毎日毎日、津波と避難所の映像。直後から、旭川市役所にも応援要請が来ていました。地震から1月たった頃、私に保健所の保健師さん2名と一緒に応援に行ってくれないかと声がかかり、ちょうど自分にも何か出来ないだろうかと思っていたので、「はい、行ってまいります」と即答しました。
確か出発は5月3日だったと思います。仙台空港に降り立ち名取市や多賀城市を通るとテレビの映像では感じることのできない凄まじい地震の爪痕を目の当たりにしました。
派遣先は仙台市から北東にある「七ヶ浜町」という町の役場です。落ち込んでいるだろう皆さんになんて声を掛けたらいいのだろうと思い登庁しましたが様子は少し違いました。本心は辛いのだろうと思いますが、役場の方も「綺麗さっぱり全部流された」「両親も行方不明だ」と笑いながら話しています。

「前を向かないと進まないから」と力強い言葉。内心はすごく辛く生活も大変なんだと思いますが、役場を訪れる町民も含め皆さん今できることを一生懸命取り組んでいました。

滞在は約10日間で少しだけ支援はできたと思いますが、それよりも前向きに生きることの大切さを沢山学ばせて頂く機会になりました。

その後、私が大病を患い一度諦め掛けた夢を、再度喚び起させる糧にもなったと思います。

さて、美瑛は晴れて気温が上昇する日が増えてきました。

十勝岳連邦や大雪山は朝日に照らされ金色や銀色に、夕日に照らされピンクやオレンジに染まる季節です。綺麗な山を見るには良い季節かもしれません。